この耳で生きていく

突発性難聴の日々を自分らしく暮らす

映画『リメンバー・ミー』を観てきました。聞こえない右耳で映画は大丈夫?

こんにちは。カナエです。

4月になりましたね。1日の今日は「映画の日」ということで、娘のリクエストで映画『リメンバー・ミー』を観てきました。

f:id:n-kanae:20180401152700j:plain

出典:https://www.disney.co.jp/movie/remember-me.html

 

右耳は大丈夫か?!

 突発性難聴になり、右耳がほぼ聞こえません。
ですが以前、音が大きくて、閉じた空間という映画館でも、特に不快に感じることなく、映画を観ることができました。 

kono33.hatenablog.com

 

というわけで、再びの映画鑑賞です。

この映画、始まる前に約20分の『アナと雪の女王/家族の思い出』が上映されます。
ご存知かと思いますが、アナ雪は歌い踊るシーンが多い映画。この短編ももちろん、たっぷり歌ってます。

映画なので元々音は大きいですが、曲になるとなおさらボリュームアップ。特に歌のシーンでは、聞こえない方の右耳は多少の圧迫感・耳閉感を感じました。

はじめは「大丈夫かな??」と思いましたが、慣れれば平気。内容が面白かったのもあり、しばらくすると忘れていました。

 

リメンバー・ミー』はこんな映画

 アカデミー賞・長編アニメーション賞、主題歌賞を受賞したという、映画『リメンバー・ミー』。

トイ・ストーリー』や『ファインディング・ニモ』、『モンスターズ・インク』の「ピクサー」の制作とあって、娘同様、わたしもかなり期待していました。

そしてそんな期待を裏切らない、素晴らしいお話でした!

生きている主人公が「死者の国」に迷い込んでしまうというお話ですが、登場人物の半数は、ガイコツです。

メルヘンチックというか、ありえねぇぇーという設定ですが、理屈じゃなくて、引き込まれるんですよね。人間の想像力って、本当にすごいです。

映画が終わり、エンドロールが始まって隣の娘を見ると、涙ジャージャー流しながら号泣中。それを見て、わたしも再び涙腺決壊。
8歳にも伝わる内容。38歳女子も心が温まる、そんな映画です。

右耳に多少圧迫感を感じつつも、音楽のすばらしさを堪能。そして、ご先祖様を思い出してみようという気持ちにさせてくれました。

 

聞こえない耳に映画館は大丈夫か?

映画館は、

  • 音が響く室内
  • 大きめの音
  • 人が多い場所

という、圧迫感や耳閉感を感じやす条件が揃っています。
普段、聞こえない以外の症状を感じにくいわたしも、映画を観ている最中は、多少の圧迫感・耳閉感を感じました。とはいっても、映画の内容が面白ければすぐに忘れてしまう程度です。

以前、笛や大きな音がする体育館で、音が耳や頭に響きまくり、かなり辛かったことがありました。そのトラウマで、音が響く環境は怖いのですが、映画館は大丈夫なようです。

ただし、難聴の度合いなどで、また変わってくるかもしれません。

 

回復したからこその映画館

ところで、退院直後の状態では、映画館で映画を観ることも辛かったと思います。突発性難聴による症状も回復することで、観にいけるようになりました。

家でDVDを見ることも好きですが、やはり映画は映画館で観たいですよね。
リメンバー・ミー』を映画館で観ることができて、本当に良かったです!

 

突発性難聴で右耳がほぼ聞こえなくなったわたしが、穏やかでいられる5つの理由

f:id:n-kanae:20180328180107j:plain

こんにちは。
暖かいをすっ飛ばして暑くなりましたね。ちょっと前まで、店に並ぶ半袖の服がフライング気味に思えましたが、すでに初夏の装い、カナエです。

 

突発性難聴を患い、右耳がほぼ聞こえなくなりました。
発症から5か月が経ち、随分と回復はしたものの、聴力がこれ以上良くなることはないと思われます。

自分ではなく、もし家族が友人が同じ状況だったら、きっと不憫に思うのではないか。客観的にみれば、そう思います。

そんな「穏やかではない」ようにみえる状況ですが、かなり心穏やかに暮らしています
別にわたしは、人一倍のんびりとか、何にも動じないとかいうわけではありません。どちらかというと逆で、ちょっと神経質で、すぐ不安になりやすいタイプ。

ならば何故、穏やかでいられるのか?
その理由は5つあります。

 

理由その①慣れた

「慣れた」って、身もふたもない言い方!・・・でも、慣れるんです。

突発性難聴はその名の通り、突然、片耳が聞こえなくなる病気です。そういえば最近聞こえづらかった、とかは全くなく、さっきまで何ともなかったのに!という感じ。

わたしは特に発症時は重度の難聴。”100”あったものが、突然”0”になるという感覚です。なので、けっこう衝撃的。

でも、人間の身体というものはすごいもので、そんな状況にも「慣れる」のです。特に
、耳鳴りは発症時より小さくなったというのもあって、割と早く慣れました。

右耳が聞こえないのは、普段家に居る時は感じませんが、人としゃべる状況とかだと困ることもあります。でもそれさえも、慣れます。

というわけで、症状に慣れることで、病気だということを忘れる時間が増えた。それが穏やかでいられる理由のひとつです。

理由その②諦めた

またもや身もふたもないですね・・・。スミマセン。

突発性難聴は完治する確率が3分の1。
残りの3分の2は、良くなったとしても、後遺症は残る可能性があるといわれています。残りの人生、難聴や耳鳴りなどの症状と付き合っていかなくてはいけないということです。

入院中は、ふらつきも酷くてゆっくりと歩くのがやっとだったし、耳閉感・圧迫感も酷いまま良くならず、このままおばあちゃんになるのか・・・と思っていました。
でも同時に、じゃあこの状態でできることは何だろう??と考えました。

もちろん、できない事ばかりが思い浮かんで、泣いたことも1度や2度ではないです。
ただ、良くならないかもしれないということを受け入れたというか、いい意味で「諦めた」のは、今となっては良かったと思います。

だからこそ症状が回復した今、本当に幸運だなと思って暮らすことができています。

理由その③ブログで発信

 

突発性難聴を発症する半年くらい前から、ブログを始めました。退院後は続けられるか不安でしたが、突発性難聴についてだったら発信できるかも、と入院中に思いつきました。 

そんな目標もできたので、まだ酷い症状の残る身体で家へ帰ることにも、希望が持てました。とはいっても、退院後1か月くらいはブログを始める気持ちの余裕はなかったです。でも始めてみたら、発信することがハリになったし、少しは役に立てているかな??

ブログで病気について発信していることが、穏やかでいられることにつながっている気がします。

理由その④自分を大切にしようと思えた

先ほども言いましたが、突発性難聴は前兆が全くないのが特徴。

ですが、発症の原因はストレスや疲労と言われています。
それは、わたしもかなり自覚がありました。発症する前は、寝不足だったし、体力的に無理もしていたし、ストレスも溜めまくっていました。だから、自分を労わらないとどうなるか、よく分かりました。

突発性難聴になったのも、結局自分のせい。だから、自分の責任は自分で取る。というと、なんか重いでしょうか??
というわけで、今は自分を大切にするため、できるだけストレスを溜めないような暮らしを心がけています。

病気になる前より、今の方が自分を大切にできているので、心も穏やかなのかもしれません。 

理由その⑤とにかく死ななかった

理由はいくつかありますが、やはりこれに尽きます。

突然、病気になり入院もし、後遺症も残りましたが、左耳は聞こえているし、生きています!

命に係わる病気もたくさんある中で、わたしが患ったのは突発性難聴だった、ということで、もう十分だと思っています。
もしかしたら失ったものもたくさんあるかもしれませんが、生きていれば何とでもなりますよね。

これが、わたしが穏やかでいられる5つ目の、一番大きな理由です!

 

穏やかでいることの効能

今まさに、突発性難聴を発症したばかりで、酷い症状と闘っている方。もしくは、後遺症が仕事に支障をきたしたりして、悩まれている方。そんな穏やかでいられない状況の方々には、かなり気休めな内容だったかもしれません。  

はじめにも言いましたが、神経質なタイプで不安になりやすいわたしが、突発性難聴を治療していくなかで、落ち込む気持ちを切り替えることができました。

そして、切り替えられたことで病気について深く悩むこともなく、それがもしかしたら回復に少しでも役立ったのかも?と思っています。 

治療法だけでなく、こういったことも参考になれば嬉しいです。

  

 

初めての朝ドラロスと、次期朝ドラ『半分、青い。』のタイトルの意味

f:id:n-kanae:20180326122116j:plain

こんにちは。カナエです。

 

突発性難聴で入院中、台風がやってきました。しかも巨大なやつ。その影響で病院のアンテナが故障、その後2・3日はNHKしか映らないという事態になってしまいました。

そんなわけで、入院中、朝は暇なのでテレビを見ていたわたしの選択肢は、朝ドラ『わろてんか』のみになりました。

初めての朝ドラ、そして朝ドラロス

 

そんな経緯で毎日見ることになった朝ドラ。
それまでずっと、朝ドラがどれだけ話題になろうと、朝の貴重な15分が無駄になる!とかたくなに見ることはありませんでした。

でも、ヨロヨロとしか歩けない状態で家へ戻ってきたわたしにとって、朝ドラを見ることは、心の支えでした。何ででしょうね??でも大げさではなく、本当に支えられていたと思います。そんな思い入れたっぷりな『わろてんか』も、今週で終わろうとしています・・・。

朝ドラも初めてなら、朝ドラロスも初めて。そろそろ心の準備をしなければ。半年見続けると、ホント、欠かせないものになるんですね。

 

次期朝ドラ『半分、青い。』の意味

 

と思っていたら、4月から始まる新しい朝ドラ『半分、青い。』は、左耳が聞こえない女の子が主人公とのこと。

タイトルの『半分、青い。』というのは、雨が降っていても、左耳は聞こえないから静かで、半分は晴れている、という意味なのだそう。作者の北川悦吏子さんは、実際に左耳が聞こえないのだそうですね。
あら?見たいかも・・・。なんかロスとか言いつつ、簡単に切り替わるもんだなぁ。

 

突発性難聴で右耳が聞こえなくなり、朝ドラを見ることが日課になり、そして始まる『半分、青い。』。
わたしは右耳が聞こえないといっても、耳鳴りがうるさく全然半分青くないです。でもなんだか不思議な縁を勝手に感じています。楽しみ!

 

名古屋市の突発性難聴の医療費助成、本当に助かっています!

f:id:n-kanae:20180323151939j:plain

こんにちは。カナエです。

わたしは名古屋市在住です。
たまたま、突発性難聴についてインターネットで調べていたら発見した、名古屋市特定疾患医療給付事業。それは偶然にも、突発性難聴を対象としたものでした。 

kono33.hatenablog.com

 

ちなみに詳細は、名古屋市のHPに記載されています。
名古屋市:特定疾患医療給付(暮らしの情報)

 調べると、他の自治体でも、突発性難聴の治療に給付金が下りる制度が実施されているところもあるようです。是非、調べてみてください! 

医療費助成、助かっています

病気になると、お金がかかります!
特に入院をしたり、通院が長期にわたったりすると、出費はかさみます。

突発性難聴も、特に重症の場合の治療は、長い時間がかかります。薬代も、4種類を2ヶ月分とかで、1万円くらい支払ったこともあります。
なので、名古屋市突発性難聴への医療費助成、本当に助かっています!

この制度の素晴らしいところは・・・

  • 承認された期間中なら支払った医療費も返還される
  • 医療費の返還は、病院や薬局から直接受けられる(手続きが面倒くさくない)

ただし、

  • 病院・薬局は委託先以外は対象外
  • 承認には審査がある
  • 申請してから通知が来るまでに時間がかかる

ということもあります。

 

自分で調べないと教えてくれません

わたしは偶然、この医療費助成制度を見つけましたが、知らずに見逃していた可能性もあります。
わたしは突発性難聴の中でも重症で、2週間入院し、今も通院中。そして、仕事もやめたので、収入は減りました。金銭的にも厳しいです。

そんな患者のためのこの制度、少なくともわたしが入院していた病院では教えてくれませんでした。助成制度なんて把握しきれん!そこまで面倒みきれん!というのも、とても分かります。

でもどうにか、もっと周知する方法はないものかなぁ~??とも思います。

というわけで、微力ながらこのブログで、お知らせしていこうかという次第です。
突発性難聴の患者は、年々増えているそうですが、せめて金銭的な不安が軽くなればいいなと思います。

 

  

 

突発性難聴の発症から5か月ちょっと、久しぶりの診察に行ってきました

f:id:n-kanae:20180323142337j:plain

こんにちは。
桜が咲き始めましたね。桜ばかりではなく、近頃はやたら自然の中の風景に目が行くようになった、カナエです。年取ったということですね・・・。

 
突発性難聴を発症してから5ヵ月とちょっとが経過、昨日、2ヵ月半ぶりに診察に行ってきました。
というわけで、聴力検査の結果と、今後の治療についての報告です。

 

聴力検査の結果

 聴力検査は、入院中には何度も、退院後も診察の度に受けているのですが、毎回、けっこう緊張します。ぶっつけ本番の試験、という感じですね。

では、聴力検査の結果です。 

f:id:n-kanae:20180323131033j:plain


以前の結果と比べたものは、こちら。

f:id:n-kanae:20180323125902p:plain

 ・・・入院時 ・・・発症約1か月後 ・・・発症約3か月後。
そしてオレンジ色が、今回の結果です。

グラフでは分かりにくいですが、平均値は前回(発症3か月後の診察時)よりも、やや悪くなっています。
良くなってはいなくても、まさか悪くなっているとは思わず、ちょっとショックでした・・・。今まで、聞こえないなりにも、数値は検査するたびに良くなっていたことしかなかったので、尚更です。

あくまでわたしの場合ですが、今回の結果から、突発性難聴による難聴の回復は発症から3ヵ月くらいまで、と言えそうです。

それでも治療は続く

毎回、診察の前にまず聴力検査を受け、検査結果を見ながら、主治医がこれからの治療を考えてくれます。今回は、結果を見た瞬間、「前と変わっていないね」と先生が一言。ああ、とうとう治療も終わりか・・・と思いました。

が、予想を裏切り、
「その日の体調とかでも、検査結果って変わってくるからね」
と言いながら、とりあえず漢方はやめて、「イソバイド」は量を徐々に減らしていきましょう、ということになりました。次の診察は3か月後。

まだ治療は続くということで、なんだか不思議な感じです。

とりあえず、薬を飲む日々はまだまだ続きます。
といっても、今後聴力がすごく良くなるということはなさそうなので、これからはおまけの期間。少しでも良くなればラッキーくらいの気持ちで、やっていこうかなと思います。

薬の種類

という3種類になりました。

以前の薬についてはこちら。 

kono33.hatenablog.com

 

病人なんだと再確認

普段は、家で過ごすことが多いというのもあり、突発性難聴の症状をあまり感じずに暮らしています。
もちろん聞こえにくい時はありますが、これでも充分回復した方だと思うし、このままでも暮らしていけると思います。

でもやはり、聴力検査の結果が、少しとはいえ悪くなっていると、けっこうショックなものですね。自分でも驚きました。

数値が悪くなったといっても、実際には感じないくらいの程度だし、先生も結果はその日によって変わると言っていましたが。

ところで、漢方がなくなったとはいえ、3種類を3ヶ月分、ものすごい量の薬を持って帰る自分に、ああ、わたしってしっかりと病人なんだ・・・と再確認。

ちゃんと薬を飲むことを頑張ろうと思いました。

 

 

 

大部屋のすすめ②~6人部屋の片隅で愛を叫ぶ~

f:id:n-kanae:20180320105243j:plain

突発性難聴は、原因不明、特効薬なし。
後遺症が残る可能性もあるという、ハードな病気だ。 

ただし、死ぬことはない。

13日間の入院生活は、回復しているという実感はなく、酷い症状との闘いの日々だった。ただ、命の心配をする必要はなく、それがどれだけ恵まれているかを思い知らされる日々でもあった。 

 

わたしが入院していたのは、消化器内科病棟の6人部屋。

突発性難聴は耳鼻科の病気なのだが、耳鼻科病棟は1日8,500円の個室しか空いていなかった。そんなわけで、空いていた消化器内科の大部屋に入院することになったのだ。

 

6人部屋の片隅で愛を叫ぶ

癒し系ボイス

突発性難聴になり、右耳が重度の難聴でほぼ聞こえなくなった。

音という音はすべて、聞こえる左耳を通して入ってくるから、音がどこから聞こえてくるのか分からないという事態になった。

 

病室にはわたしの他に4人の患者さんがいたのだが、入院したばかりの頃は、声はすれど、どのベッドの人なのか全く把握できなかった。

でも毎日聞いているうちに、声とキャラクターが一致するようになり、カーテン越しに聞き耳を立てることが、趣味の悪い日課になった。それくらい病院で過ごす一日は暇だったのだ。

 

難聴の耳には時々、音が不快に響くことがあった。
だから見舞い客などの会話が賑やかになると、辛いこともあったのだが、その中にすごく聞き心地の良い女性の声があった。それは低音で癒し系の、子守歌のような声。その声の主はほぼ毎日、入院中の母親の見舞いに来ているようだった。

 

そんな癒し系ボイスの娘からは想像しがたいのだが、母親である患者のSさんは、強烈なキャラクターだった。 

看護師さんが「お名前と生年月日を教えてください」と言えば、「昨日も言っただろ!なんでそんなこと毎回聞くんだよ、何度も言わせるなっ」 と返す。

「Sさん、お通じはありましたか?」と聞かれれば、「ごはん食べてないんだから、出るわけないだろ!」 とさらに声が鋭くなった。

「今日、採血しますね」と言う看護師さんを、「痛いから、絶対に嫌だ!あんた達へたくそだからやらせてやらない!」と言って困らせた。

毎日、看護師さんと繰り広げられたお馴染みのやりとりなのだが、わたしは密かに、日替わりの看護師さんがSさんにどう切り返すか、カーテン越しに楽しみにしていた。

 

そのやりとりで分かったのは、Sさんは食事をとると命に係わるから絶食という、重い病気だということ。


「ごはん食べさせてもらえないから、ふらついてばっかだよ!」
など、とても食べていない人とは思えない勢いで叫ぶ母をなぐさめ、看護師さんに「わがままですみません」と謝る娘の癒し系ボイス。その声のトーンと穏やかそうな人柄に、わたしはいつの間にか癒されるようになっていたのだった。

 

6人部屋の片隅で愛を叫ぶ

ある日、食事を出すためには採血をして検査しなくてはいけないと説得を試みる看護師さんを、Sさんはいつものように追い返そうとしていた。

すると、とうとう主治医がやってきた。

「ぼくが痛くないよう採血しますから」との言葉にも「いやだ」を押し通すSさん。少しの沈黙の後、

「じゃあ、退院しますか?」

と先生は言った。このまま家へ帰れるような病状ではないことは、わたしでさえ何となく知っていた。主治医の一言は効いたらしく、Sさんは黙ってしまった。

 

次の日の朝、ついに検査と処置を受けたと思われるSさんが、ベッドごと病室に戻ってきた。
バタバタとした雰囲気の中から聞こえてきたのは、処置を受けたけれど上手くいかなかった、だから絶食は続けるというSさんへの説明だった。

 

そのすぐ後、Sさんの娘さんが病室に飛び込んできた。
「お母さん、このままだったら死んじゃうんだって!!」
いつもの落ち着きは全くなかった。高く、涙交じりの声だった。
「だから先生の言うことよく聞いて、食べられなくても頑張ってよぉぉ!」
と静かに叫んだ。


わたしはそれまで、カーテン越しに勝手に癒されていた。
そしてその日「死なないで」とも聞こえた痛々しい叫びに、またもや勝手に涙を流していた。

 

f:id:n-kanae:20180209094622j:plain

魔女の後ろ姿

ところで、大部屋の中はベッドごとにカーテンが閉められて区切られている。
なので、普段、同室の人の姿を見ることはあまりない。トイレへ行く時とかに、たまたま顔を合わせるくらいだった。
 

入院生活も後半に突入したころ、はじめて、Sさんと娘さんの姿を見た。

その頃になると、めまいが残る身体でふらつきながら、デイルームまで歩いて行くのが日課になっていたのだが、そこでSさんと娘さんがソファに座って話しているのを見かけた。初めて顔を見たのにSさんと分かったのは、やっぱり娘さんの声だった。

 

声は毎日聞いているのに、初めて顔を見るというのも不思議なものだ。声だけを聞いて膨らませたイメージよりも、娘さんはずっと若くて驚いた。

そしてSさんは、壊れてしまいそうなほど弱々しく、でも誰も寄せ付けないオーラを放っているように感じた。ずっと人知れず暮らしている「魔女」を、初めて見たような気分だった。

 

その頃から少しずつ、Sさんと看護師さんとのやりとりは、穏やかになっていった。 

Sさん「わたしね、病院でも家計簿つけてるんだよ」
看「そうなの、すごいね~」 

Sさん「うちの娘はね、料理が苦手だから心配」
看「そっか。じゃあ早く治して帰らなくちゃね」

ある日、廊下の突き当りの窓辺に、点滴台につかまりながら外を眺めるSさんの姿があった。

娘さんはもう帰ってしまったのだろう。一人で夕暮れを見つめる後ろ姿が寂しそうで、わたしは何故か、Sさんを抱きしめたくなった。

 

そして思った。

誰にも心を開かずに反抗的だったSさんを変えたのは、娘さんだ。死なないでという叫びを、わたしは今でもはっきりと覚えている。

 

わたしが退院する少し前、「わたしは食べられないのに、食べ物の匂いがプンプンしてきて、本当に迷惑!!」と、看護師さんに訴えるSさんの声が聞こえてきた。

まさに、いい匂いをプンプンさせていたわたしは、パンチを食らったかのようだったけれど、不思議と嫌な気持ちはしなかった。心の中で「ごめんね~」と謝っておいた。

 

やっぱりおすすめしたい、大部屋ライフ 

同じ病室で過ごした、病気も家庭環境も年齢もさまざまな人たち。病気にならなかったら、出会うことはなかった人たちだ。 

 

入院中、わたしは自分の病気に苦しみ、完治しなかった今後の人生を思って悲観に暮れたこともあった。

でも、片方の耳は聞こえている。
ご飯は美味しく食べられる。
何よりわたしは生きている、だから大丈夫だ。

そう思えるようになったのは、自分の力だけではない。

偶然にも過ごすことになった病室での13日間、ただすれ違っただけの誰かの人生の一部を、わたしはきっと忘れないだろう。 

そういえば入院初日の夜、病室の窓から、遠くの方で花火が上がっているのが見えた。

看護師さんの「あ、花火!」という声に、病室の何人かが窓に近寄り外を見た。その日から始まった病院での生活、不安が少しだけ和らいだのを覚えている。

 

わたしはやっぱり、大部屋をおすすめしたい。

 

 

 

大部屋のすすめ①~向かいのベッドにやってきた人々~

f:id:n-kanae:20180209094447j:plain

わたしが入院していたのは、消化器内科病棟の一番奥の6人部屋だった。

大部屋に若干の不安はあったけれど、わたしのベッドは窓際、さらに向かいのベッドは空いていた。病気ながらも、これからしばらく過ごす環境には希望が持てた。

でも、わたしが急にこの部屋にやってきたように、空だった向かいのベッドにも、急に入院することになった患者が、何度か入れ替わりでやってきた。

1.入院慣れした男の子

 1人目は、小学生低学年くらいかと思われる男の子。
カーテン越しに聞こえてくる会話から、年齢を予想していたのだが、その男の子を実際に見たら想像よりもかなり小柄。見るからに病弱そうな顔色に、胸が痛くなった。彼は入院が初めてではないようだった。入院の経験からいったら、先輩だ。

それにしても、子供が入院してきてうるさいかも、と警戒していたわたしを拍子抜けさせるほど、おとなしい男の子だった。話し方もしっかりしていて、ずっと付き添っている母親のいうことを、よく聞いていた。
何度かの入院で身につけた入院生活の心得なのか、静かさがかえって、気の毒になるほどだった。わたしの娘は8歳で、そのくらいの男の子がどれだけ元気なのか、よく知っているつもりだったから尚更だ。

そんな大人のように静かなお向かいさんが、一度だけ、年相応に声を荒げたことがあった。

母親が家族と電話していたらしく、それを聞いていた男の子が突然、「ぼくがかえるまで、いっちゃダメ――!!」と怒鳴ったのだ。

推測するに、彼の兄弟がどこかへ買い物に出かけるとか、そんな内容らしかった。

ベッドの上でおとなしくしているけれど、お母さんを独占できているけれど、色々思うことが、きっとあるのだ。うるさいのは困るけれど、子供らしくないのもやはりどこか、切ない。男の子が怒る声を聞いて、わたしは不思議とホッとしていた。

 

 2.雨の夜に長靴で

小さなお向かいさんが無事に退院した後は、夜中に合羽を着て長靴を履いて、一晩だけ男の子がやってきた。
雨の中、夜中に救急でやってきて、そのまま入院となったのだろう。
カーテン越しに聞こえてくるのは、片言の日本語。母親よりも、子供の方が日本語が流ちょうだった。
朝になって退院していったから、大したことはなかったのかもしれない。まだ止まない雨の中、親子で長靴を履いて帰っていった。
乾燥気味の病室に、どこかの国の言葉と共に運ばれてきた、湿気をまとった雨の匂い。外の世界が少しだけ紛れ込んできたような一夜だった。 

3.眠れない夜、夜、夜

モンスターは突然やってきた。

消化器内科の病棟に、耳鼻科の患者であるわたしが入院していたように、向かいのベッドは、他の科からやってくる人ばかり。特に、子供が多かった。

その女の子は、4歳くらい。
腕を骨折して、翌日に手術を控えての入院のようだった。聞こえてくるのは、全身麻酔とか、動かないように固定するとか、小さな女の子にはかわいそうな内容ばかり。

骨折に加えて、慣れない病院での生活は、子供には不安でストレスなのだろう、ずっと母親に甘えて泣いていた。そしてナーバスな彼女は採尿を嫌がり、母親とのバトルが始まった。「入院する子供は意外と静か」というわたしの生まれたての概念をあっさりと覆し、あらん限りの抵抗を試みていた。

でも、これは序章。3日間の眠れない夜は、こうして始まった。

わたしは骨折したことがないから想像でしかないけれど、全身麻酔の手術に加え、手術後は腕を固定され、歩くのも禁止、そんな状況が苦痛でないわけがない。ましてや子供だ、泣き叫びたくもなるだろう。
そして、母親が子供の声が同室の人の迷惑になると気にするのも、当然のことだ。

でも消灯後、女の子が眠れずにわがままを言い出したことよりも、母親が子供に「静かにしなさい」とたしなめる声の方がよっぽどうるさかった。母親に聞いてもらえず、子供はさらに声を大きくする、また怒られる、泣く、という悪循環が、夜中続いた。

モンスターは、慣れないベッドで不安な夜と闘う子供ではない。ちゃんと甘えさせない、母親だ。わたしはそう思いつつ、何度も寝返りを打ちながら、朝が来るのを待った。

眠れない病院の夜は、本当に長い。そして子供が言うことを聞かないのは、親が子供の声にちゃんと耳を傾けないからかもしれない。そんな二つのことを学んだ、夜だった。

 

4.上品な老女とオムツとわたし

骨折の女の子が無事退院してから何日かは、向かいのベッドは空いていた。

眠れない夜を過ごしたトラウマで、向かいにまた子供が入院したらどうしようと怯えていた。怯えつつも静かな夜を満喫していた頃、やってきたのは70代後半くらいの女性だった。

女性の息子やその嫁、さらに孫らしき人の何人かに付き添われての、賑やかな入院だった。夜には、さらに別の子供も見舞いに来るという、人気者ぶり。

女性は腰を骨折したらしく、絶対安静のようだった。家族が帰ってから、初めてのオムツに抵抗があるようで、何度も看護師さんを呼んでいた。
カーテンの隙間からは、上品そうな老女の姿が伺えた。

わたしだったら、どうだろうか、と思った。
突然動けなくなり、オムツを履くことになったら、すぐに納得して受け入れられるだろうか。それならそれで、楽でいいやとか思えるのかな?そんなことを考えているうちに、わたしも退院が決まった。

わたしの方が先に退院したので、向かいの老女のその後のことは分からない。家族に慕われ、きっと普通に暮らしていた彼女が、いい意味で諦めて、早く病院の生活に慣れることができたらいいなと思った。いつか訪れるかもしれない、わたしの未来を思いながら。

 

それでも言おう、大部屋はおすすめだと

大部屋での入院生活は、デメリットがいっぱいだ。
個室に入院したことがないので何とも言えないけれど、金銭的な余裕があれば、個室の方がいいのかもしれない。

それでも、わたしは大部屋をおすすめしたい。

病院という非日常で繰り広げられる人生模様を、覗き見るもの悪くないと思うのだ。わたしは病院で病気を治療していただけでなく、普通に生活していたら発見できなかったことを知り、考えた。


入れ替わりのお向かいさん以外、わたしが入院している間は、ほぼ固定メンバーだった。わたしより重症な人たちばかりだ。
突発性難聴になり、入院中もその症状が激しすぎて全然良くならず、本当にこれからどうなるのだろうかと思っていた。
そんな毎日で、わたしの心を動かした同部屋の魔女のような患者さんがいた。そのエピソードはまた次回。

 

 

 

 

 

薬を飲み忘れたらどうする?飲み忘れの対処法と予防策について

f:id:n-kanae:20180315135943j:plain

こんにちは。カナエです。

突発性難聴を発症してから5か月、退院後から今まで毎日薬を服用しています。

でも毎日3回、忘れずに飲むってなかなかハードルが高い!飲み忘れてしまうこともあります。

退院してしばらくは、ランチへ行くときも薬を持っていっていました。
ちゃんと飲まなきゃ治らないかも・・・という緊張感があったのかもしれません。退院後、突発性難聴の治療は薬を飲むことだけだったから、なおさらです。

でも今は、持っていくのを忘れるばかりか、外出した日、朝も昼も飲んでいないのを、帰ってきてから気が付くということもあったり・・・。

決められたタイミングでしっかりと飲むことが、薬の効果が一番発揮されるために大事なことだと思います。

でも長い期間だし、つい忘れちゃんうだよなぁ~。 

そこで・・・
飲み忘れに気が付いたら、その時に飲んじゃっていいの?
食前に飲む漢方薬は、食べた後だと効果がない??

などという疑問を解決するため、薬を飲み忘れたときはどうすればいいかについて、調べてみました。

薬を飲み忘れたときの対処のしかた

現在わたしが飲んでいる薬

わたしが飲んでいる薬はこちらの4種類。

退院後に処方され、一度漢方の種類が変更になったりもしましたが、今までずっと飲み続けている薬です。イソバイドシロップ以外は、一日3回の服用です。

kono33.hatenablog.com

薬を飲み忘れた時はどうする?

【飲み忘れたことにすぐ気付いた場合】
薬を飲み忘れたことにすぐ気付いた場合は、気付いた時点で飲むようにしたほうがいいようです。胃に負担がかかるような薬の場合は、何か口にいれてから服用するようにします。

【次の服用時間に近い時間に飲み忘れに気づいた場合】
2回分を一緒に飲むということはやめましょう!
次の服用時間が迫っている場合は、飲み忘れの分は抜いて、次回分からいつも通りに服用します。

漢方の場合は?

今飲んでいる4種類の薬のうち、桂枝茯苓丸は漢方薬です。
漢方だけは他の薬と違い、服用は食前(食事の30分前くらい)漢方薬は空腹時に服用することによって、吸収がよくなると言われているそうです。
とはいっても、この「食前」というのがまた、特に忘れやすい!   

漢方薬の場合、食前の飲み忘れを食後に気づいたら、食後であってもそのときに服用した方がいいようです

ただし、次の服用時間に近い時間に飲み忘れに気づいた場合、2回分を一緒に飲むということはやめましょう!効果が出すぎて、副作用を起こす危険があるようです。

間隔の目安

薬も漢方薬も、次の服用時間まで空けたい間隔の目安は、こちら。

1日3回服用の薬→4時間以上の間隔
1日2回服用の薬→6時間以上の間隔
1日1回服用の薬→8時間以上の間隔

飲み忘れの予防策

1度や2度ならまだしも、何度も飲み忘れが続くと、効果があるのか心配になってきます。ということで、飲み忘れを防ぐようにしたいものです。

  • 食卓に常備しておくなど、薬を準備する習慣をつける
  • お薬ケースで管理する
  • カレンダーに飲んだらチェックを書き込む(お薬カレンダーというのが薬局に売っているようです!)
  • スマホなどのアラーム機能を使う

わたしの場合ですが、錠剤・顆粒・シロップ(冷蔵保存)とバラエティー豊かで、例えば薬ケースで一日分ずつ分けておくということができません。
飲み忘れも避けたいですが、飲んだかどうかを忘れてしまうことも、たまにあります。

そこで考えた方法。
食後に飲む3種類の薬を、まずメチコバール錠から飲むと決めます。メチバコール錠は一列が3錠で、一日毎食後服用なのでちょうど一日分です。

f:id:n-kanae:20180315132156j:plain
なので裏に列ごとに日付をかき、右から朝・昼・晩の分と決め、空いていたら飲んだ、空いていなければ他の薬も飲んでいないという、目安にしています。画像だと、12日の朝までは飲んでいます。

もちろん薬自体をよく目に入る場所に置いています。

f:id:n-kanae:20180315132452j:plain

キッチンカウンターの上です。
工夫してはいるものの、一週間後が診察なのに、こんなに余ってる!!という時もありますが・・・。 

薬は何で飲むのがいい?

薬は、水または白湯で飲むのがいいようです

お茶やジュース、牛乳などと一緒に飲むと、効果が弱くなったり、逆に効果が強く出すぎたりする場合があるので、避けましょう。 

まとめます。

というわけで、薬の服用中にありがちな「飲み忘れ」の場合の対処法についてでした。

薬は適切な量を適当な間隔で飲むことで効果を発揮するそうです。

まずは飲み忘れないように工夫することが大事ですが、それでも飲み忘れることもあります。そんな場合でも慌てずに対処したいものです。

ただし、薬によっては飲むタイミングを間違えると効果がない、もしくは生活に支障をきたす可能性のある薬もあるようです。

もし服用に関して迷うことがあれば、処方した医師や、薬剤師に聞きましょう。 

正しく薬を飲んで、一日でも早く回復することができればいいと思います!

 

 

突発性難聴の治療法、こんなの見つけました!

f:id:n-kanae:20180313171255j:plain

こんにちは。カナエです。

このブログにたどり着いてくれた方なら、もしかしてもう読まれたかもしれませんが、こんな記事を見つけました!

突発性難聴の2つの治療法を発見!

発症したばかりの頃は、突発性難聴についてネット検索ばかりしていたけれど、最近あまり調べないうちに、こんな情報が出ていたとは!
ちなみにYahoo!で「突発性難聴 治療」と検索したら、『水飲み療法』の記事が1ページ目に出てきました。その記事内に、関連記事としてもう一つの記事も紹介されています。

 

ひとつ目はこちら。

水飲み療法』というのを聞いて思い出したのですが、そういえば私の主治医も「水を一日1リットルは飲むようにして」と言っていたっけ・・・。今頃思い出しても遅い??

この水飲み療法の記事の中では、ウォーキングも勧めています。これは、わたしも同感です。 

kono33.hatenablog.com

 

そしてもう一つ。

kenka2.com

この記事に書いてある『首のV字筋マッサージ』は、首から上の頭部全体の循環がよくなるそうです。わたしは首コリが酷いので、効果あるといいなぁと思いつつ、押しています。

 


水飲み療法も、首のV字筋マッサージも、今すぐに始められるし、簡単にできそうだし、やってみない手はないですよね。効果は分かりませんが、リスクはなさそうです。

 

特効薬のない突発性難聴、治療中は少しでも効きそうな治療法なら試したい!という思いが強いと思います。簡単に取り入れられる事ならなおさらですよね。

是非試してみてください!

 

 

 

突発性難聴の発症から5か月。後悔のない治療はできただろうか?

f:id:n-kanae:20180313154554j:plain

こんにちは。
暖かくなってきましたが、ヒートテックが手放せません。春の気配にもまだ油断はできない、カナエです。

さて。
突発性難聴を発症してから、5ヵ月が経ちました

余談ですが・・・
わたしが右耳に異変を感じたのは5か月前の10月13日の金曜日
そう、あの不吉とされる13日の金曜日です。ひえぇぇ~。ホラー映画『13日の金曜日』っていうのも昔ありましたよね、ジェイソン!
 

・・・戻ります。
今回は発症してから5ヵ月後の症状や、現在の様子についてです。

 

 

発症から5か月後の様子

発症1か月~3ヵ月にかけては、一番症状の回復が感じられた時期でした。診察時の聴力検査の結果にも良くなっていることが表れていたし、自分でも良くなっていくのが実感できました。

それに比べると、4ヵ月、5ヵ月と経った今、変化を感じることはほぼなくなりました
というのも、1月以来2か月以上、診察に行っていないので、聴力の変化も分からないのです。
ただ、きっと悪くはなっていないだろう、という感じ。

右耳の難聴と耳鳴りは、いまでも残っています。4ヵ月後の頃と、体感的にはほとんど変わっていません。 

kono33.hatenablog.com

難聴も相変わらずで、耳鳴りは鳴りっぱなしには変わりないのですが、自分が突発性難聴なんだということを、ほとんど忘れています。
家という静かな環境で過ごすことが多いのと、あとは「慣れ」が大きいと思います。

ゴールはどこ?

症状の回復は、今の状態までなのではと思っています。
でも「諦め」ではないですよ!よくぞここまで回復したもんだ!という気持ちです。

完治を目指せば、かなり遠いゴール、もしくは永遠にたどり着けないかもしれませんが、重度の突発性難聴です。この辺りがゴールでもいいと思っています。

 

ちなみに来週、2か月半ぶりの診察へ行く予定です。
その時の聴力検査で、もし聴力の結果に変化がなければ、治療終了なのかな?先生に「もう来なくていいよ」とか言われるのかな??
とすれば、長く付き合った薬ももう処方されないのかな・・・。それはそれで、寂しい気はします。

後悔のない治療はできただろうか?

  ちょうど5か月前の突発性難聴を発症した日、耳鼻科の先生に言われたひとこと。

後悔のないように治療していきましょう

それが今でも心に残っています。
もちろん何気ない言葉で、特に意味はなかったかもしれませんが。

突発性難聴は、原因不明で特効薬がない病気です。
完治せず聴力が戻らない事もあるから、納得がいくまで治療しましょう、という意味だったのかなと、今は解釈しています。

突発性難聴の治療には「高気圧酸素療法」や「星状神経節ブロック」、針治療もありますが、わたしは試しませんでした。でも、やっておけばよかったとか、そういう後悔は全くありません。もしかしたら今より良くなっていたかもしれませんが、他の治療はしないと決めたのは自分なので、納得しています。

我が治療に、一片の悔いなし!

あ、『北斗の拳』のラオウです。古いかな??

 

 まとめます

というわけで、来週の診察次第では、もしかしたら突発性難聴の治療は終わるかもしれません。・・・と思っていたら、また何か月分もの薬がどっさりともらえるかもしれませんが・・・。

治療の終わり=これ以上の回復は見込めない

です。ここまで回復したのは嬉しいし、治療といっても薬を飲んでいただけですが、もう病院へ行かなくてもいいというのも何だか寂しいものです。

でも治療の終わりからが、この耳での人生の本当の始まりかな?という感じ。
これからも突発性難聴に関する情報を発信していきます!