この耳で生きていく

突発性難聴の日々を自分らしく暮らす

大部屋のすすめ①~向かいのベッドにやってきた人々~

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わたしが入院していたのは、消化器内科病棟の一番奥の6人部屋だった。

大部屋に若干の不安はあったけれど、わたしのベッドは窓際、さらに向かいのベッドは空いていた。病気ながらも、これからしばらく過ごす環境には希望が持てた。

でも、わたしが急にこの部屋にやってきたように、空だった向かいのベッドにも、急に入院することになった患者が、何度か入れ替わりでやってきた。

1.入院慣れした男の子

 1人目は、小学生低学年くらいかと思われる男の子。
カーテン越しに聞こえてくる会話から、年齢を予想していたのだが、その男の子を実際に見たら想像よりもかなり小柄。見るからに病弱そうな顔色に、胸が痛くなった。彼は入院が初めてではないようだった。入院の経験からいったら、先輩だ。

それにしても、子供が入院してきてうるさいかも、と警戒していたわたしを拍子抜けさせるほど、おとなしい男の子だった。話し方もしっかりしていて、ずっと付き添っている母親のいうことを、よく聞いていた。
何度かの入院で身につけた入院生活の心得なのか、静かさがかえって、気の毒になるほどだった。わたしの娘は8歳で、そのくらいの男の子がどれだけ元気なのか、よく知っているつもりだったから尚更だ。

そんな大人のように静かなお向かいさんが、一度だけ、年相応に声を荒げたことがあった。

母親が家族と電話していたらしく、それを聞いていた男の子が突然、「ぼくがかえるまで、いっちゃダメ――!!」と怒鳴ったのだ。

推測するに、彼の兄弟がどこかへ買い物に出かけるとか、そんな内容らしかった。

ベッドの上でおとなしくしているけれど、お母さんを独占できているけれど、色々思うことが、きっとあるのだ。うるさいのは困るけれど、子供らしくないのもやはりどこか、切ない。男の子が怒る声を聞いて、わたしは不思議とホッとしていた。

 

 2.雨の夜に長靴で

小さなお向かいさんが無事に退院した後は、夜中に合羽を着て長靴を履いて、一晩だけ男の子がやってきた。
雨の中、夜中に救急でやってきて、そのまま入院となったのだろう。
カーテン越しに聞こえてくるのは、片言の日本語。母親よりも、子供の方が日本語が流ちょうだった。
朝になって退院していったから、大したことはなかったのかもしれない。まだ止まない雨の中、親子で長靴を履いて帰っていった。
乾燥気味の病室に、どこかの国の言葉と共に運ばれてきた、湿気をまとった雨の匂い。外の世界が少しだけ紛れ込んできたような一夜だった。 

3.眠れない夜、夜、夜

モンスターは突然やってきた。

消化器内科の病棟に、耳鼻科の患者であるわたしが入院していたように、向かいのベッドは、他の科からやってくる人ばかり。特に、子供が多かった。

その女の子は、4歳くらい。
腕を骨折して、翌日に手術を控えての入院のようだった。聞こえてくるのは、全身麻酔とか、動かないように固定するとか、小さな女の子にはかわいそうな内容ばかり。

骨折に加えて、慣れない病院での生活は、子供には不安でストレスなのだろう、ずっと母親に甘えて泣いていた。そしてナーバスな彼女は採尿を嫌がり、母親とのバトルが始まった。「入院する子供は意外と静か」というわたしの生まれたての概念をあっさりと覆し、あらん限りの抵抗を試みていた。

でも、これは序章。3日間の眠れない夜は、こうして始まった。

わたしは骨折したことがないから想像でしかないけれど、全身麻酔の手術に加え、手術後は腕を固定され、歩くのも禁止、そんな状況が苦痛でないわけがない。ましてや子供だ、泣き叫びたくもなるだろう。
そして、母親が子供の声が同室の人の迷惑になると気にするのも、当然のことだ。

でも消灯後、女の子が眠れずにわがままを言い出したことよりも、母親が子供に「静かにしなさい」とたしなめる声の方がよっぽどうるさかった。母親に聞いてもらえず、子供はさらに声を大きくする、また怒られる、泣く、という悪循環が、夜中続いた。

モンスターは、慣れないベッドで不安な夜と闘う子供ではない。ちゃんと甘えさせない、母親だ。わたしはそう思いつつ、何度も寝返りを打ちながら、朝が来るのを待った。

眠れない病院の夜は、本当に長い。そして子供が言うことを聞かないのは、親が子供の声にちゃんと耳を傾けないからかもしれない。そんな二つのことを学んだ、夜だった。

 

4.上品な老女とオムツとわたし

骨折の女の子が無事退院してから何日かは、向かいのベッドは空いていた。

眠れない夜を過ごしたトラウマで、向かいにまた子供が入院したらどうしようと怯えていた。怯えつつも静かな夜を満喫していた頃、やってきたのは70代後半くらいの女性だった。

女性の息子やその嫁、さらに孫らしき人の何人かに付き添われての、賑やかな入院だった。夜には、さらに別の子供も見舞いに来るという、人気者ぶり。

女性は腰を骨折したらしく、絶対安静のようだった。家族が帰ってから、初めてのオムツに抵抗があるようで、何度も看護師さんを呼んでいた。
カーテンの隙間からは、上品そうな老女の姿が伺えた。

わたしだったら、どうだろうか、と思った。
突然動けなくなり、オムツを履くことになったら、すぐに納得して受け入れられるだろうか。それならそれで、楽でいいやとか思えるのかな?そんなことを考えているうちに、わたしも退院が決まった。

わたしの方が先に退院したので、向かいの老女のその後のことは分からない。家族に慕われ、きっと普通に暮らしていた彼女が、いい意味で諦めて、早く病院の生活に慣れることができたらいいなと思った。いつか訪れるかもしれない、わたしの未来を思いながら。

 

それでも言おう、大部屋はおすすめだと

大部屋での入院生活は、デメリットがいっぱいだ。
個室に入院したことがないので何とも言えないけれど、金銭的な余裕があれば、個室の方がいいのかもしれない。

それでも、わたしは大部屋をおすすめしたい。

病院という非日常で繰り広げられる人生模様を、覗き見るもの悪くないと思うのだ。わたしは病院で病気を治療していただけでなく、普通に生活していたら発見できなかったことを知り、考えた。


入れ替わりのお向かいさん以外、わたしが入院している間は、ほぼ固定メンバーだった。わたしより重症な人たちばかりだ。
突発性難聴になり、入院中もその症状が激しすぎて全然良くならず、本当にこれからどうなるのだろうかと思っていた。
そんな毎日で、わたしの心を動かした同部屋の魔女のような患者さんがいた。そのエピソードはまた次回。