この耳で生きていく

突発性難聴の日々を自分らしく暮らす

学校へ行かなくても、右耳が難聴になっても、幸せに生きることはできます

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こんにちは。カナエです。

今回は、小学生の子供を持つ親として、かつて、小学校へほとんど通えなかった元不登校児として、どうしても書きたくなったことです。

新学期を前に、学校へ行きたくない、死にたい、と悩んでいる子供へ届くといいんだけどなぁ。

小学校へ通えなかった子供でした

わたしが小学生だったのはもう30年も前の事です。

そのころは、不登校児というのはかなりの珍しかったと思います。学校に1人、2人くらいしかいなかったんじゃないでしょうか?いわゆる問題児です。

きっかけはよく覚えていないのですが、幼稚園へ行くのがイヤだったわたしの手を、母と園長先生が引っ張って園へ連れていき、他の子供の前で泣きながら抵抗したのが、トラウマになったのではと。今ではそう思います。

そのせいか小学校にも通えず、保健室や、会議室へ通っていた時期もありました。

普通のことが出来ずに自分を責める

小学校に通うって、ほとんどの子供ができている、普通の事です。

そんな当たり前のことが自分にはどうしてもできない。親も周りの大人も、どうにかわたしを学校へ通わせようとしている。

子供ながらに、自分を責めていました。今よく言われる「自己肯定感(自分を認める気持ち)」というものなんて、ゼロですよね。普通に毎日学校へ通う同級生を、あこがれのような目で見ていました。

成長していくこの時期をそんな状態で過ごしたせいか、今でも、ちょっと自己肯定感が低めの大人です。

みんなと同じではない自分を、どうか責めないでほしい

時代は変われど、不登校はやっぱり少数派だと思います。

本当に悲しいのは、学校へ通えない自分を自分で責め続けることです。
みんなと同じようにできない自分を、どうか責めないでほしいです。

学校へ行かないという選択があってもいい

学校へは普通に通えた方がいいです。

でも、学校へ行かないという選択があってもいいと思います。今はフリースクールとか、いろいろな選択肢があるようですね。情報を手に入れやすいし、時代は変わったんですね。

ただ、不登校は決して楽な選択肢ではありません。

不登校は楽な選択ではない

 「不登校なんてナマケているだけ」、「行きたくなくても、頑張って通っている子もいる」。こんなことも言われることもあるでしょう。

わたしは普通に通学できていた中学生の時、不登校だった小学生時代を知られはしないかと、おびえていました。勉強も、追いつくのにかなり努力しました。

不登校は、決して楽な選択ではありません。

でも、とにかく自分を責めることなく認められるように、生きやすくなるように。そのための不登校なら、乗り越えられると思います。

小学校へ通えなかった子供はどうなった?

小学校へ通えなかったわたしは、どんな大人になったのか?

わたしは、地元の子が誰もいない、過去のわたしを誰も知らない、私立の中学校へ入学しました。そこで、今までのうっぷんを晴らすかのように、勉強もスポーツも頑張りすぎ、卒業まであと少しという中3の冬休み明け、再び不登校になりました。

学校へ通うということがやはり嫌で、中卒でもいいかと思いましたが、両親が勧める「通信制高校(つうしんせいこうこう・・・月1・2回くらい通学し、あとは家で勉強してレポートを出すという学びかたです)」へ4年間通いました。

今思えば、通信制高校を卒業したのは大正解。いくらアルバイトでも、履歴書で「中卒」と「高卒」は大きな違いです。(ちなみに、通信制高校から大学へ行った人もいました)

それに、通信制高校はわたしのように、何かと事情のありそうな子ばかりで、気が楽でした。その頃の友達とは、今でも仲良しです。

その後はフリーター(就職せずアルバイトをして働く)として暮らし、結婚して子供を産んで、専業主婦になり今に至ります。

学校にもまともに通わず、将来どうなるんだ?という心配はあるかと思います。ですが、自分が生きやすい環境と出会えれば、自分で何とかできます。

わたしは今、普通の主婦として、とても幸せに暮らしています。

親になって思うこと

親になり思うことは、不登校児の親、特に母親は、本当に大変な思いをしていたんだろうなぁということです。

育て方が悪いとか言われたんじゃないかな?と胸が痛みます。

でも、子供が楽しそうに生きているだけで、親は嬉しい。それが分かったので、今も、楽しく生きていたいと思っています。

好きなことが自分を救う

小学校へ行かない間、家ではよく本を読んでいました。会議室へ登校していた時も、本を持っていって読んでいました。

ずっと家にいるわたしに、本は知らない世界へ連れて行ってくれたり、生きるヒントを与えることもありました。

今では、自分でも文章を書きたくて勉強し、ブログにもつながっています。

好きなことは、自分を救います。それが自信につながることもあるかもしれません。どんな時も、続けてほしいなと思います。 

学校へ行かなくても、右耳が難聴になっても、幸せに生きています!

小学6年間ほぼ不登校
中学3年間は、がんばりすぎてリタイヤ。
通信制高校4年間は、単位ギリギリで進級。

最近は、突発性難聴(とっぱつせいなんちょう・・・片耳が突然聞こえなくなる病気)になり、右耳の難聴(聞こえにくい)という後遺症が残っています。

大変なこともありましたが、周りに助けてもらいながら、自分の力で幸せになることはできます。

不登校だったというだけでエラそうに言いますが、学校へ行かなくても、右耳が難聴になろうが、幸せに生きることはできます!

どんな経験も、生かせる時がいつか来る(と信じています)!

何よりも、死んだらダメです!