この耳で生きていく

突発性難聴の日々を自分らしく暮らす

突発性難聴の後遺症には慣れるしかない?時間が経つことで変わることもあります

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こんにちは。カナエです。

 

1年3か月前に突発性難聴を発症し、約2週間の入院生活を送りました。

 

その間、症状が良くなっていると感じることはなく、
「おばあちゃんになってもずっと、このままなのかなぁ」
と、暗く悲しい気持ちにもなりました。

 

その時に読んでいた同じく突発性難聴を患った方のブログに書かれていた
症状には慣れるしかない
という医師からの一言。

 

慣れるしかない。
患者にとっては突き放されたようにも感じる言葉です。

 

でも、時間が経つことで変わったこともありました。

 

突発性難聴の後遺症には慣れる?

退院後しばらくは、今よりも症状が酷かったこともあって、終始、右耳のことばかりが気になっていました。

  • 耳鳴りの音量も大きかった
  • 音が不快に響くこともあった
  • 頭がふらついて真っすぐに歩けない

というような状態。
こんな状態に慣れることなんてできるの??と思っていました。

 

でも、発症から1年以上たった今となっては、ハッキリと言えます。

難聴にも耳鳴りも、慣れます!

 

現在、右耳の平均聴力68㏈ほどの難聴。
耳鳴りは常に鳴りっぱなし。

聞こえにくいとか、困ることが起きないと難聴を意識することはないし、耳鳴りもたまに「あー鳴ってるなぁ」と思い出すくらいです。

 

慣れるとは、
意識が右耳に向かなくなる時間が増える
ということのようです。

何かに没頭していれば、耳鳴りも鳴っていないようなものです。

 

でもそれは、1年も経った今だから。 

酷い症状の真っ最中に、「慣れるしかない」という言葉はやっぱり辛いです。つい、お前も同じ目にあってみやがれぇぇーーとか言ってしまいそう。

  

時間が経つことで変わることもある

退院後、診察のたびに良くなっていった聴力検査の結果も、3か月くらい経つと停滞するんですよね。 落ち込むこともありました。

 

でも、
多くの時間を過ごすうちにこの耳にも慣れ⇒「後遺症があってもけっこう大丈夫だな」という自信が積み重なり⇒後遺症が残ったという深刻さは軽くなっていった

という気がします。

わたしにとって「慣れる」は、回復に近い効果です。

 

とはいっても、慣れるには時間がかかります。
それに同じ後遺症でも、もっと酷い症状が残ってしまった場合は、気休めにもならないかもしれません。

 

でも、完治しなくても後遺症が残っても、
時間が経つことで変わることもある。

 

「おばあちゃんになってもこのままでも大丈夫」
今はそう思っています。