エッセイ『蘇える変態』で読む人気俳優の闘病生活。星野源の多才っぷりを堪能しよう!
こんにちは。カナエです。
突然ですが星野源が好きです。
ただのミーハーですが。
テレビドラマでよく見かけるようになったなぁと思っていたら、歌手としても大人気、歌も作っちゃう。
しかも、文章を書けば上手くて面白い。
すごすぎて、嫉妬しそうです。
というわけで、突発性難聴になる前に嫉妬を覚えつつ読んだ星野源のエッセイ『蘇える変態』。
一見ふざけているようなタイトルも、読み終えると、納得の命名なのです。
このエッセイの後半では、彼が病に倒れ、闘病する日々が描かれています。
今は、俳優、音楽家、文筆家の肩書をほしいままに活躍されていますが、大病を乗り越えていたのかと、衝撃的でした。
そして、突発性難聴を発症し療養中の今、もう一度『蘇える変態』を読み返しました。
わたしは命に係わる病気ではないし、一緒にしてはいけないけれど、やはり病気した後だと、同じ病人目線で読んでしまいます。
病気になって気が付いたこととか、共感するところがたくさんありました。
エッセイを読んでいると、全然笑える状況でないのに、面白がろうとする姿勢がいたるところに見られます。
同じ状況を絶望的にも書けると思うけど、やっぱり笑いに持っていくところに、人柄がにじみ出てるなと思います。
もちろん、痛々しくて辛い闘病の日々や、命の淵に立たされたからこそ感じたことも丁寧に書かれていて、泣きました。
いやー、色んなことに敏感な感性もさることながら、この文才。
すごいです。
病気は違えど、同じ病人としてまた違った感覚でも読める『蘇える変態』。
多才な星野源がその感性のままにつづる、闘病記です。
笑って、泣けます!
余談ですが・・・
突発性難聴になる前、発売されたばかりの星野源の『Family Song』を毎日のように聴いていました。
入院して、病室のベッドの上で聴いていたiPodから『Family Song』が流れたとたん、病気する前の日常がフラッシュバックして、号泣。
歌詞の内容もタイムリー過ぎて、泣きつつも入院中に何度も励まされた、大好きな曲です。